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2011/11/18

ドナルド・キーンさんの講演記録

かなり長いですが、先日のドナルドキーンさん講演の内容メモをアップします。
年代や漢字など間違いあるかもしれませんが、ご容赦くださいませ。
尚、内容については学会に確認を取っていません。

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社叢学会@学士会館 1116日(水) 13:0017:00 

講演:危機の後の文化 ドナルド・キーン社叢学会名誉顧問
(13:10~13:55 約45分間の講演)

日本には3つの危機があった 
・応仁・文明の乱
・天明の飢饉
・太平洋戦争

震災後、海外からの日本人の精神に対しての賞賛が多い。
また、アメリカの大学生などは演劇をしてお金を募って寄付をするなどの活動が広がっている。通常、被災地へお金を送るときには途中で横領されるなどの懸念をする場合があるが、日本へ送る場合にはそのような心配をする人がいない。(疑わない)

私(ドナルド・キーン氏)は日本文学研究者として、日本をよく知っている立場として、クライシスの時にどうして日本人はそのような行動ができるのか?と問われることが多い。
その際にいろいろな観点から検証すると、日本には、儒教、仏教の影響などが考えられるが、それぞれその宗教を主体とする国を見ると必ずしも日本と同じような行動をとっているわけではないことがわかる。

例えば、儒教を信じる国として同じように孔子を信じていた国でも、異なる行動があった。文化大革命の時代には、孔子は悪魔として扱われた。仏教は慈悲や平和の宗教だといわれているが、仏教を国教として信じる国においては、絶えず内乱がありこれもまた異なった行動をしている。では、日本独特の武士道の精神の影響かと考えると、裏切りや憎しみの歴史もあり、やはり武士道だけでは説明ができない。これらを考えると、神道も含めてすべてのものが合わさって日本人の精神力が作られているのではないかと考えるのである。

日本の文学において、災害についてほとんど描かれていない。例外は鴨長明の方丈記で、恐ろしい地震、火事、飢饉が描かれている。(自分は授業で教えることも含め、方丈記を60回位読んでいるとも補足説明)。それに対して、平安時代はあまり災害を描くことはなく、華の風雅を描く方を好んだ。火事や災害などは忌み嫌い無視した。古今集の中の歌に出てくる「君をおきてあだし心を我がもたば末の松山波も越えなむ」を、津波の波が松山を越えたと解釈をする人もいるが、古今集の研究第一人者の片桐洋一氏も違うと言っているし、自分個人としてはこの解釈は違うと思っている。(この歌の意味は、『私が恋しいあなたからこころ変わりをするなんて、あの松山を波が超える位ありえないことだ』という気持ちを綴った恋の歌。)


江戸時代に本多利明(1744-1821)という実用論者がいて、西域物語という書物を残している。この書物には、運送用の船を購入して貿易をすべき、など当時では受け入れ難い記述がされていたことから明治時代まで世に出ることはなかった。その西域物語の中で、本多利明が東北(奥州)を旅した記述があり、浅間山が噴火して天明3年に飢饉が発生した。食料がなく、200万人が餓死した、との記述がある。もし本当だとすると、今回の震災の被害者の比ではない数の被害から立ち直った経験があるということです。

応仁・文明の乱に於いては、京都は失われたと言ってもいいくらいの破壊を受けた。当時印刷技術がなかったので、写本という形式で書物が写されて保存されていたが、それも打ち壊され、そのような書物があった、という題名はわかるけれども内容については読むことができなくなってしまった。日本文化は一度死んだのである。しかし、この後、東山文化という新しい文化が始まり、今日の文化につながる様式が生まれたのである。東山文化は足利義政が文化の立役者で、将軍としては駄目だったが文化発展に寄与した。

太平洋戦争においては、日本中が破壊しつくされた。私(ドナルド・キーン氏)は、当時通訳官として1945年冬の日本に来た。本当は日本が好きでもっと早く日本に行きたかったのだけど、上官とけんかをした為に上海に配属されていて、戦後に上海から厚木まで飛行機で移動して日本に到着したのである。まず飛行機の上から見て、日本は木が多いことに驚いた。そして厚木から東京へ車で向かった。普通、街は中心に向かうほど建物が増え、にぎやかになっていくが、その時は、中心に向かうほど何も無く、蔵は残っていて煙突は残っていたけれども他には何もなかった。(焼け野原だった)。そういう東京を自分の目でみた。そのころ2000人ほどいた日本語を勉強していた同僚は、戦後50年は日本は立ち直れないだろう、日本語を勉強しても意味がない、と考え、歯医者やピアニストなど様々な職業に転じ、残った人は30人位しかいなかった。誰一人立派な街になると思っている人はいなかった。日本人自身も駄目だと思っていた。その後日本を離れ、1953年に日本に戻って来て京都に住み、ちょうどその頃に、オーストラリアやカナダ、アメリカ、英国など様々な国が来て(経済学者が中心だったと記憶している)国際会議を行っていた。その時、京都大学の経済学者の発言は『日本は立ち直れないだろう』と言っていた事を今でも覚えている。しかし、私はそう思っていなかった。(立ち直れると思っていたし、実際立ち直った。)

また、戦後の15年は食べ物もなく、大変な時代だったが、日本文学においては黄金時代であった。文壇では谷崎潤一郎、永井荷風、志賀直哉、中堅どころとして川端康成、新人の作家として太宰治、三島由紀夫、阿部公房など、あんなに優れた作家が集まった時代はなかったのではないか。江戸時代の芭蕉や小林一茶、近松門左衛門が出現した時と同じようなことであった。文学だけではなく新しい芝居もでき、夕鶴(木下順二)が日本舞踊やオペラ、演劇など様々な形で公演され、新しい演劇時代の始まりだった。絵画に於いては、東山魁夷、平山郁夫、加山又造らがいた。この時代は経済的にも困難な時代であったが、日本はそれを乗り越えた。外国人に日本の近代文学として必ず進める作品は谷崎潤一郎の「細雪」で、戦時中は検閲で発行できなくなり、自費出版された作品である。(そんな目にあいながらもこの作品は今でも読むことができる。)

このように、日本は大きな災害にあっても必ず立ち直りすばらしい文化を作り上げてきたわけです。東北は必ず立ち直ります。私は日本が東北がこの悩んでいることを乗り越えることを信じていていますし、確信しています。


※キーンさんは、丁寧な日本語、です、ます体でお話になっていましたが言い切り型で記載している部分があることを補足します。

2010/11/08

パパキッチン あたたかい場所

入り口のお花
新鮮なお野菜、おいしい♪
この日のランチは石焼ベジビビンバでした
豆乳マロンアイス(期間限定)
恵那のPAPA@KITCHEN(パパキッチン)に行ってきました。

10年来の友達が家族で開いた野菜中心の美味しいレストラン。

家族で美味しい、心のこもったお料理を提供してくれています。
この日のランチは、石焼ベジビビンバ。

お料理の写真は早く食べたくて、パっと撮って一口。


お~いし~い。

こういうものは子供が一番素直に感想が出てくるもので、一緒に行った6歳のお子ちゃまは

『美味し~』を連発して、食べ終わった後も、夕ご飯にまた食べたい!とご所望していました♪

食べた後も、じんわり幸せな気持ちが広がる、あたたかい場所 パパキッチンです。

恵那と中津川でとっても美しい場所を訪れてきました。

そのときも、お子ちゃまは「気持ちがい~い!」を連発して、いっぱい深呼吸してました(笑)

2010/11/07

光~日本のへそ

日本のヘソ、恵那(と中津川)に行ってきました。光(お日様)がとっても美しかったです。

2010/09/23

Sumo,大相撲 初観戦!

幕内力士の土俵入り
美しい円形です
白鵬の土俵入り
国技館に大相撲秋場所を観に行ってきました。大相撲を観るのは初めてです。神技、美しかった。
横綱の土俵入りは見事でした。懸賞金の告知アナウンスも「味の永谷園」、「わさび茶漬けの永谷園」、「梅茶漬けの永谷園」とか一個一個違う告知になってて面白かった。白鵬の取り組みには33枚の懸賞金がつき、2周してました。59勝おめでとうございます!
33枚の懸賞金!見事です。

2010/09/18

茨城を旅する

茨城 袋田の滝です。夏の間雨が少なかったので白糸の滝みたいだ、と一緒にいった伯母さんが言います。日帰り温泉、関所の湯で温泉と美味しい奥久慈しゃもを堪能。

次の日、大洗の漁港へ。その日に獲れたしらすが干されています。
大洗 かあちゃんの店で生のしらす丼を堪能。生のしらすは漁港ならではの淡白な味わいです。
伯母さんは岩牡蠣をその場であけてもらい堪能していました。手の握りこぶしくらいある大きさの牡蠣、味見しましたが美味しかった。濃厚~
写真はありませんが、すぐちかくに『かねふく』がやっている明太子の工場があります。めんたいパーク、味見もできてお薦めです。

2010/09/01

夏の思い出 in 長野

湧き水を汲む前に、「神様にお水をいただきます。」 とご挨拶に行く友人のお子様Sちゃん。
岡谷から軽井沢へ向かう途中、御柱を落とす場所『木落とし坂』など見せもらいながら山道をドライブ。途中、別の湧き水スポットでもお水をいただきました。蓼科高原を抜け、すばらしい風景を抜けて軽井沢へ。飲みすぎた次の日の朝には爽やかな森が目の前に。すばらしい夏休みでした。Mさんお世話になりました。m(_ _)m
そろそろ次に向けて履歴書のアップデートを始めたところ。夏休み、自分で決めた課題図書は読んだので、作文の宿題を現在取り掛かり中。読んだ課題図書は宇宙もの。

宇宙の羅針盤(上下)
波動の法則

(上:山梨の昇仙峡)

2010/08/27

鍼灸の混雑時期 in 長野

再び岡谷の友人宅です。岡谷は美味しいうなぎ屋さんがあります。それに上諏訪では9月上旬まで諏訪湖畔で毎晩8時半から15分ほど花火が上がっています。余談ですが9月4日は新作花火の試験打ち上げらしいです。お世話になった友人のご主人様が鍼灸師さんでいつが一番混雑するのか?という話題になりました。 

一番は、春。通常で考えると寒くなってきたら古傷がいたんだりして通院者が増えそうですが、こちらでは寒いので出かけない人が多く、逆に春先に「ちょっと人より元気な年配の方が畑仕事に精を出しすぎて腰を痛めて通院する」そうです。
二番目は、11月。『御葉付け』という野沢菜の漬け込みをする習慣があり、昔は作物が取れない時期は貴重なお野菜保存食だったので大量に漬け込んで冬を過ごしたそうです。今はそんなに食べなくなりましたが、『DNAに刻まれた大量に漬ける!』という気持ちが抜けないそうで、「今年は半分の量にしてみましょうか?」と言ってもやっぱりたくさん漬けて腰痛になるおばあちゃんが多いようです。
最後に、順位はわかりませんが雪国ということでやっぱり『雪かき』が原因の患者さんが多いそうです。

友人曰く、「スポーツやウォーキングをするときは準備体操をしっかりする人たちも、ウォーキングより明らかに運動量が多い雪かきをする前に準備体操をする人はほとんどいないんだよね」とのこと。「いきなり全開のパワーで筋肉を使うことが腰痛や肩こりを引き起こす原因」。納得です。日常生活に無意識でやっていることにも当てはまりそうですね。

(下の写真は甲府の空。)

2010/08/22

下諏訪神社など

北軽井沢ではイーモバイルの電波が入らないので、またもやネットない生活です。朝ごはんも涼しい朝の光のなかでいただくと美味しいです。軽井沢に近いところにお住まいの方、暑さを我慢して倒れるより、思い切って休みを取って軽井沢に避暑に来るのもお薦めですよ。
 
岡谷の友人宅にレンタカーして遊びに行ったところ、近くの「万治の石仏」に連れて行ってくれました。穏やかなお顔の石仏です。1600年代に作られたものだそうです。その後、御柱祭りで有名な下諏訪神社の春宮へお参り。今日はひときわ空が光っていました。
夜は諏訪湖で行われている花火を見て、美味しいうなぎと野菜そしてお酒をいただきました。
翌朝、24時間レンタルの車を時間通り返却する為に、朝早く友人宅を出発。途中道の駅に立ち寄りながら無事帰りました。農産物直売所で朝どれトマトを洗ってガブリ。最高ですね~。

2010/07/21

借りくらしのアリエッティとメルボルンからのシェフと再会

メルボルンからお世話になっているシェフが来日。急にランチにジョインすることになり、六本木へ。
せっかくレディスデーに六本木に行くので、借りくらしのアリエッティを観ました。昔懐かしいアニメの映像美と空を見上げた時に見える葉っぱの光ってる風景とか、大切なメッセージを受け取りました。
その後、ミッドタウンでランチ。久しぶりに懐かしい顔に出会いました。 六本木界隈といえば、ミッドタウンができるずいぶん前になる一つ目の会社の時に担当企業がいくつかあったのでよく通っていました。その時とお店も入れ替わっているところもあり、たとえばいつの間にか花畑牧場のcafeができていた。その一方明治屋さんが以前とかわらない場所にあり、頑張ってお店をやってるのを嬉しくおもい、イチゴキャンディーを買って六本木を後にしました。田舎万歳!

休日も7月までか・・・

7月の三連休最後の月曜日、勝浦の海へ。暑い日に海でビールととうもろこし、最高です!日本に帰ってきて、実家の中で引っ越し作業をしてようやく落ち着き場所が決まったところですが、急遽来月から軽井沢でアルバイトをすることに。のんびり休暇も7月中で一旦終わり。子供のためのペンションでお料理など担当することになります~。 楽しみです。

2010/07/14

homemade oganic marmalade,無農薬マーマレードを手作り

地元で無農薬の夏みかんが手に入ったのでマーマレードを作ってみた。なかなかいい出来で食べるのが楽しみ♪夏みかんのピールも作って、煮出した砂糖液が余ったのでお湯で溶かして焼酎と割ったらかなり美味しい。夏みかんの皮は腎臓にもいいらしい(と言い訳)。おいしい果物と野菜に囲まれて幸せですが明日は自分の荷物を片付ける為に大掃除が待っています・・・。

2010/07/12

Soba noodle, 蕎麦 幸七

蕎麦屋 幸七(こうしち)で もり蕎麦 と そばゼリー の美味しいひと時。

日本に帰ってきてようやくネットが家で使えるようになりました。ADSLやら光やらいろいろ検討した結果、Softbankのプラン・イーモバイルの定額プランで無線LANを契約。Wimax というシステムがこれからは主流になるそうですがもう少し普及には時間がかかりそうで田舎では使いにくそうだったので見送ることに。毎日の稲穂の風景はのんびりしてとても気に入っていますが、田舎はこういう設備部分が不便です。

2010/07/02

無線LANがない

おかげさまで日本に無事到着し、のんびり過ごしております。・・・が一つ田舎だからなのか、無線LANでつなげる公共のサービスがほとんどなくhotspotもマクドナルドにしかないという状況で苦労します。
So-netに申し込んだけど早くつながるといいな。。。

図書館のパソコン接続も無線LANのサービスが館内になく、パソコン一台を一人一時間までという悲惨な状況。困ったもんです。せめて市役所か公共の場所に無線LAN飛ばしてくれたら助かるのになぁ。

2010/06/28

預け入れ荷物6個

おかげさまで引越しも無事すみ、現在空港です。減らそうと努力したけど6個の荷物!
荷物を解くのも大変だぁ~。

クリスタルが貴重品なので手荷物にしたら危うくとがったクリスタルを没収されるところだった・・。危ない。。。

2010/04/24

Returned from Okinawa, 喜瀬別邸とヨット

無事添乗から戻りました。喜瀬別邸 静かでゆったりとした時間でした。ブセナテラスからヨットに乗りなかなかできない体験もしてきました。ビールが美味しかったなぁ(♪)

目の前ビーチ派にはブセナテラスがお勧めですが、ゆったりのんびり静かに過ごしたい大人には喜瀬別邸お勧めです。御食事が特においしい。朝食と夕食(和食)がお勧めです。

2010/04/17

Okinawa, 沖縄 美ら海 ジンベイザメなど

ジンベイザメの餌付けを初めてみました。ここは美ら海水族館です。

グワーっと口から海水ごと飲み込むスタイルで、水中でたっているような格好になります。アメリカ人もお客様も大興奮でした。すごいなぁ~。
少し曇りがちのお天気ですが、もともと雨80%の予報だったのが晴れているので感謝です。(下はお部屋のベランダからの眺め。名護湾が見えます。)
今回の通訳ガイドさんは娘さんが東映に勤めて背景画を描いているアーティストだそうです。おもしろい大阪のおばちゃんです。先日マイケルムーア監督のアテンドもしたそうで、その彼の言葉が印象的でした。

政治的な映画が多い彼に、アメリカのどこかの講義で生徒が『政治家になったらいいのに』と言ったらところ、『僕はいい映画が撮りたくてこの仕事をしているんだよ』とのこと。たまたま題材がそういうテーマだった ということなんですね。へ~っ 意外にそういうものなんだな、と思いました。