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2012/07/11

布ナプキン

今年に入って、複数の友達から布ナプキンを薦められました。
で、本日オーダーしたエコ・ナプキンが届きました。

購入したのはこちらのサイトからです。
手作りで、素材にも大変こだわって作られて草木染が施されています。
商業目的というよりも普及活動の一環として活動している方が取り扱っています。

この活動を始めた角張光子さんがエコ・ナプキンに出会い広めようとしたきっかけは、
後述の本にも書かれていますが、阪神淡路大震災の時に使い捨てナプキンのゴミ処理に
大変困ったという状況から。
その翌年にオーストラリアからもたらされた布ナプキンという概念に出会ったそうです。

友人は、布ナプキンにしてから生理痛が軽くなったといいます。
また別の友人のお嬢さんも変えてから不順が治ったと聞きました。
日常の石油化学製品がいかに体に影響を及ぼしているか考えさせられます。

赤ちゃんも、紙おむつよりも布おむつが肌に優しいのでしょうね。


関連図書 
オニババ化する女たち』三砂 ちづるさん著

2010/10/21

天然のソーラーシステム

週末過ごさせていただいたオーシャングローブの家には暖炉がありました。ちょうど平均気温より10度下がる寒さの日になり暖炉に火が入りました。ぬくぬくしてありがたい暖かさです。

暖炉の火を見ていて、昔シャロムヒュッテのオーナー、臼井さんが朝のエコツアーで語っていたことを思い出しました。木は天然のソーラーエコシステムだ、と。

(人が木を利用する立場からのコメントです恐縮ですが、)二酸化炭素を吸って、太陽の恵みを浴びて大きくなった木は、私達に涼しい木陰を提供してくれて、山の土地を根がつなぎとめてくれて、そして切り倒された後は薪となって暖を取らせてくれる、天然のエコシステム。

原子力発電よりソーラ発電の方へ税金が使われる方がいいと思うけれど、でもその前に、もっと日本の林業への取り組みを考えて持続可能な社会へ戻ることも忘れてはいけない。

ソーラー発電システムを作り出すには、特殊な鉱石を薄く切ってパネルに貼り付けなければいけない。その鉱石を奪い合うために未開の土地を掘り起こし自然破壊を続けることが果たして本当にエコなのか。人間のエゴなのか。

一つの暖炉を囲んでいて、いろいろ考えが巡った週末でした。

2009/10/18

朗読劇(日本)

ブッダとテロリスト 朗読劇が11月15日、16日に行われます。

サティシュ・クマール氏が書いた本を元にシナリオを梶本恵美さんが書き下ろし、秋吉久美子さんが語ります。

日本語訳は もう殺さない -ブッダとテロリスト- です。

この本はAmazonでオーダーしたときに、「偶然」間違って2冊注文してしまい、せっかくなので梶本さんに送ったのがきっかけ。その後、サティシュ・クマール氏が立ち上げたシューマッハ・カレッジで2週間のショートコースに参加していたところ、梶本さんから「この本、朗読劇にしたい」とメールが。
ちょうどサティシュ氏もカレッジにいらっしゃり、お伝えしたところ快諾。それから約一年後、サシュシュ・クマール氏の来日に合わせて朗読劇が行われることとなりました。すべて必然というか事象はつながってますね。(間違って本を2冊オーダーしたことも。)

朗読劇とは別に11月19日11月21日にもイベントが企画されているようです。興味がある方は日付のリンクをクリックしてください。

2009/08/03

コンビニ弁当

 最近日本でコンビニ弁当の見切り販売について裁判等で騒がれましたが、武田邦彦氏のブログに興味深い話が出ていましたので興味のある方は→このリンクをご覧下さい。コンビニ弁当を食べてはいけない (昨年ベストセラーになった本『間違いだらけのエコ生活 「地球にやさしい」は本当か?』などの著者)
 武田先生のブログはいろいろ考えるきっかけになります。アメリカでも古い車を買い替えたら最大4500ドルの助成金が出るそうです。すぐに財源がなくなって追加法案があっという間に可決されました。車会社からのロビーイングの結果だと思いますが、もっと他に税金を使わなければいけないところが山のようにあるのではないかと思います。

下記は昨年書いたブログの転載です。コンビニ弁当についても書いてました。

免罪符(贖宥状)  ブログ移転前の10月16日2008年に書いたブログ________________________________________
 こちらで読める日経新聞国際版の一面に排出権取引に関する記事が出ていました。なんとなく、世界史の歴史で覚えた中世キリスト教の「免罪符(贖宥状)」を思い出しました。何か悪いことをしてもキリスト教会が発行する免罪符をお金を出してかうことでチャラになるというものだったと思います。後から歴史を学ぶと「え?」というシステムで、ルターの宗教改革の時に免罪符に意義を唱えたんだったと記憶しています。 
 排出権取引は「どんなに汚してもお金を払えばOKです。」なシステムに感じます。アメリカに住んでいて生活はあまりエコロジーとはいえませんので、なんとも言えないところですが、モノを大量に消費してリサイクルするから、と言うのと似てるかなぁ。
 生活するうえで必要なゴミはあるだろうけど、コンビニのお弁当の売れ残りを家畜の肥料にしているからと言って、商売上無駄に食料を消費していることは正当化できない、というか。紙のリサイクルも白いコピー用紙を作る際には大量の薬品で漂白して環境を破壊するので実はエコじゃないんですよ、と印刷会社の人が言っていました。理屈っぽい話が続いてしまいましたが、現代の免罪符(贖宥状)は今後どうなっていくのでしょう・・・。