ある時代、ある村に一人のお坊さんがいました。
村の人は、導いて下さる存在として、長者は庵を建て、村人は農作物や衣服を寄進して尊敬し、敬いました。
村人がしてくれることに対して、
『あぁ、そうですか』と言って受け取りました。
ある時、長者の娘が未婚のまま身ごもってしまいます。
体面や格式を重んじる家柄として、恥として長者はカンカンに怒ります。
相手は誰なのか、問い詰めても決していいませんでした。
十月十日過ぎ、赤ちゃんが生まれた時に、ある雪の寒い日に、中々相手を白状しない娘に堪忍袋の尾が切れて、相手が誰なのか言わないなら勘当する!という最後通告を娘にします。
娘は観念して、とうとう、相手は、庵にいるお坊さんです。と白状します。
怒り狂った長者は、庵を破壊し、村人も一緒になって非難します。唾を吐きかける者もいました。長者は、おまえの責任だから、と言って生まれたばかりの赤ちゃんをお坊さんに押し付けて、娘を連れ帰ります。
そんな時も、
『あぁそうですか』とお坊さんは言いました。
そうこうして、赤ちゃんに食べさせることもできずに、村に托鉢に行きます。
そこでは、お前なんかに恵むものはない!と邪見に扱われます。
困り果てたお坊さんは、長者の家に赤子をかかえ、こう言います。
『私は罪深い人間かもしれないが、赤子には罪はありません。どうか乳を恵んで下さい。』と。
それを聞いた、長者の娘は、半狂乱になって告白します。
赤子の父親は、長者が対立する家の息子で、とても本当の事が言えなかったと。
その告白を聞いた長者や村人は、お坊さんに非礼を詫び、また庵を建て、どうか村に残って下さい、と懇願します。
そんな時も、お坊さんは、
『あぁそうですか』と淡々と目の前に起こる事を受け入れたそうです。
いまここにいる、とはそういう事だ、という分かりやすい例えですね。
人生万事塞翁が馬。